川野館長の言葉

資料館(平和の館)の意義

戦後半世紀を過ぎても特攻隊員の体当たり攻撃で戦死された戦友のことを思うと、今でも胸の痛みを感じて仕方がありません。

 

私は当時、攻撃第五飛行隊員として、木更津海軍航空隊基地で連日沖縄方面に、又本土近海までやってくる敵機動部隊に対し、必中攻撃を行っていました。そして昭和20年7月25日、我が飛行隊も全員特別攻撃隊員を命ぜられ、終戦の8月15日まで、第4次に亘り特攻攻撃をかけ、32名もの戦友を失いました。

 

僅か20才前後の青年達が、祖国と肉親の安泰を祈り、いさぎよく死んでいったその崇高な精神、犠牲の極致、又人としてのなし得る最大の奉仕をされた、帰らぬ君等2534名の特攻隊員と、予科練戦没者の遺徳を後世に正しく伝えたいのです。

 

この悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、我々生き残った者の勤めとして、遺書、遺品と予科練に関する資料を一堂に集め、その供養をすると共に、多くの人々に観ていただくことを願っております。そして次代をになう青少年の育成に役立てば、又世界の恒久平和を希求し散華された多くの同窓の御霊も必ず喜んでくれるものと思い、此処に予科練資料館、平和の館を作りました。

(昭和63年8月14日、大分県大分市の自宅地下に開設)

靖国神社に想う

靖國神社に対する関心が、今高まっている。

特にA級戦犯合祀のことのようだ。小泉総理の参拝も中國や韓國からの干渉が強い。

 

私は戦争で國のために一身を捧げられた英霊を祭ってある靖國神社に参り、心から慰霊の誠を捧げるのは國民として当然の行為であり、又一國の総理が國民を代表して参拝することは自然の営みではないのか。その行為が何故我が國だけ責められるのか。

 

1978年10月に昭和殉難者として東条英機元首相等14人が合祀された。それは1953年戦傷病者、戦没者遺族援護法の改正で年金や弔慰金を戦犯の遺族にも支給、又恩給法の改正で戦犯も公務死と國が位置付けた為、昭和21年の宗教法人令改正により一宗教法人となった靖國神社に新しく合祀する祭人の決定権は神社側にあり、合祀されたものである。戦争はその國家に与えられた基本権であり、一つの政治手段であるから犯罪人とはなじまないのではなかろうか。

 

昭和28年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が衆議院本会議で決議され関係各國の同意を得て、A級は昭和31年3月31日までに、BC級は昭和33年5月30日をもって全員釈放されました。ある國はA級戦犯が祭られている神社に総理が参ることは國民感情として許されないという。我が國は靖國神社に参拝することは國民感情として当然であり、小泉総理に國民を代表して堂々と参拝して貰いたい。

 

私は一宗教法人から切り離し別格な神社として國の施設としてお守りすることが出来ないだろうか。昭和21年宗教法人令改正の折、何故そうしなかったのか悔やまれてならない。あらゆる宗教には崇める人、又物体があるが、靖國には祭神が何百万人、いや今後合祀される祭人はないとは言えない。靖國と一般宗教法人との違いは歴然としているからである。愛媛県での憲法違反の判例から護國神社での慰霊祭に知事の姿はない。こんなことでは英霊は静かに眠れない。

 

別格靖國神社としてお守り出来るよう願うものです。

 

平成18年7月21日 予科練資料館館長 川野 喜一

憂國の青少年へ

我が國は実に不思議な國である。国内で毎日起きる悲惨な殺人事件、かわいい盛りの子供を実の母親が平気で殺す、又、中高生が実の親を殺す。児童虐待に至っては、年間三万人を超過した。犯罪を上げればきりがない。私の言いたいのは、平和であれば起きない事件であること。資料館へ来る小学生に今日本は平和であると思うか、平和でないと思うかと質問すると約半々に分かれる。

 

戦後六十年経っても、自虐史観による教育を受けた為、自称平和主義者は戦後六十年間銃での殺し合いがなかった。平和であったのは、憲法九条のおかげである。此の平和憲法をこれからも守っていくと言う。銃で殺し合いをしてないからと言って、毎日國内で起きている殺人事件で死んでいる人の数を知っているのか。今ほとんどの小学校では、登下校時に地域の人たちが監視している現状をなんとする。自称平和主義者は平和平和と唱えていれば、それが平和であるかのごとく思っているが、幾等空へ向かって叫んでみたところで、ミサイルが飛んで来ない保証が何処にも無い。唯願望に過ぎない真実の平和とはどうあるべきかを全く知らない危険な風潮だ。

 

一方社会に於いても政官業の癒着による不正事件は後を絶たない。毎日流される若者や少年少女の凶悪事件の報道にうんざり。ミサイル発射、竹島、尖閣問題、私は日本人は、今こそ目覚めなければ日本は本当に沈没する。政府も憲法改正問題、教育基本法等重要法案を小泉首相は退任を前に、あっさり先送りし、国会を閉会してしまった。

 

日本をこれから背負う青少年に願うことは、大東亜戦争に限らず、何事も真実を追究すること、人の言うことをそのまま受け入れるのではなく、自分なりに研究し考え、自分のものにする心構えが大切である。戦争は突然勃発するものではなく、長い歴史の中で発生する。緊張あり対立あり、紛争があって、その頂点に戦争という國家主権の発動が戦争である。日本の大陸政策と米國の極東政策の対立があり、支那事変以来米英両國は中立國の國際法に違反して公然と蒋介石政権に対し、経済的にも多大な援助をしたことは日本に対する挑発行為であり、米英支蘭の四カ國がABCD包囲陣を作り日本を経済的に封鎖、石油の全面禁輸した事は、日本に対する挑戦行為であり、我が國は自衛のために戦ったのが大東亜戦争であり真実である。

 

丁度今、北朝鮮が同じような立場に立たされていることを良く考えてみることも大事であろう。世界平和は誰もが望むところであるが、残念ながら大なり小なり世界から戦争は無くならない。自國を守るのは自國民であるべきが原則であるのに、日本は九条があるため、現在軍隊がない。日本國の守りは必要ないで國の存続ができますか。國なくして個人などありますか。守りが必要だから、平和でありたいから憲法九条の改正が必要です。私は若い青少年に此の日本を委ねたい。日本古来千年前からある日本人の心である大和魂(磨き抜かれた常識、日本的な知識)を今こそ日本人皆が身の中に呼び戻し、日本人としての誇りを持って我が國を正常な國に戻して貰いたい。六十年前、GHQに強制された憲法であり総ての面で日本の弱体化を計っており、日本にとり最悪の憲法であります。

 

日本が救いがたい現況に至った最大の原因は現憲法にあります。今の日本のすさんだ世の中を戦死者は、きっと嘆き悲しんでいることと思う。こんな日本のために死んだのではないと怒っているだろう。生き残った我々は申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

私は朝夕、資料館の霊前に線香をあげ慰霊の誠を捧げています。が、國や家族や妹たちの為、貴い若き青春の命を捧げられた英霊たちえの土産に、日本の将来は安泰であることを見届けるまで死ねない。一日も早く優國の青少年によって英霊への土産を作って貰いたい。霊魂はその大好物の土産を待っているのです。

 

平成18年7月18日 予科練資料館館長 川野 喜一

「戦争論」を読んで 小林よしのり著作

小林よしのり氏の戦争論で述べていることは殆ど肯定します。

今の世の中、全くその通り、私の考えと一致する。

7月頃、当資料館に良く来観する、大分大学教育学部付属中学校の阿久根君が、氏の戦争論を持参、南京大虐殺のニセ写真について質問を受けました。その折り、ぱらぱらっと内容を見ましたが、すばらしい本がでたものだと感心していました。

 

毎日、目に余る事件、中島議員の政党助成金問題、長銀に公的資金(幹部は各省庁よりの天下り)、住専(ノンバンク)防衛庁背任事件、友部議員のオレンジ事件、故新井議員事件、オウム事件(破防法をなぜ適用しない)大蔵省キャリアの悪事、8月31日北朝鮮のミサイル発射事件(国の守りは必要ないのか)戦後の民主主義教育が誤った方向へ行ったため、個人主義が横行、その歪みが、現在社会であると思われる。

 

君が代は歌うな、日の丸は揚げるな、靖国神社には参るな、日本は侵略したのだから死んだ兵隊に敬意を表すことはないと教えてきた日教組。50年間も繰り返し教えられた子供たちはそれを信じ、祖国日本を憎み、勝手気ままな行動をして平気で犯罪を犯す。今や道徳も道義も廃れた世の中になってしまった。

 

1993年8月10日、細川首相は先の大東亜戦争を侵略戦争であり、間違った戦争であったと断定し、謝罪した。以後、日本は謝罪外交花盛りである。

マレーシアの、マハティル首相は当時の村山首相が反省と謝罪をしようとしたとき、50年前のことについて日本が謝り続けることは理解できない、過去は教訓とするべきだが、国家間の関係は現在から未来に向かうべきであると言われた。常識の差か。

以前インドのマザーテレサ氏が来日したとき、日本は世界一の経済大国ではあるが、また、世界一貧しい国でもある。それは心であると言われた。

 

戦争論の中で、公と個を論じていたが、日本国即ち、国あっての個人であり、国なくして個などあり得ない。世界に誇る平和憲法と言うが、会社でも団体の規約でも、半世紀経てば現在にそぐわない箇所が必ず出てくる筈である。憲法第9条である、現在の自衛隊は、明らかに憲法違反であり(武器装備など昔と比較にならないほど充実)改正の必要ありと思われる。

要するに日本国を守るために軍隊を置くべし。政治家が言い出すと自分の票が減るから言わないでいる。全くずるいと思う。我が国は、自由主義社会であるから、志願制にすればよい。自ら進んで国の守りに着こうという者を他人が引き止める権利など無い筈。真っ向から国民に賛否を問い、今の儘で良いというならそれでよい。そのかわり、他国の言うなり、なすが儘、靖国神社に総理大臣が参拝することまで隣国に気兼ねしなければならない日本。ミサイルが日本列島上空を飛んでも、尖閣諸島、竹島問題にしても、相手国のなすが儘、これで独立国といえるのか。戦争の悲惨なことは体験者しかわからない。平和を愛するが故に、平和を守る為にこそ国の守りが必要である。

 

特攻隊については、戦争論第7章にすべてを網羅してあり、語る必要など無い。唯、文中で一部では強制された者もいたとあるは間違いである。そんなことはない。

 

最後に祖国と肉親の安泰のみを祈り、名も命をも惜しまず毅然として国に殉じた数多くの英霊に対し、心から感謝と哀悼の意を表し、読書感といたします。

 

【先日のテレビ朝日の戦争論に対する討論での所感】

この討論は何時間やっても結論も合意もない。ただし、この戦争論が世の俎上にあがり、これからの話題としての役割は大きい。反対派の宮崎、辻元、松井氏の激しい口調にはびっくりしたと同時に、特攻隊員であった小生としては腹が煮えくり返るほど激怒したが、金美齢氏の発言に救われる。

元パイロットであった坂井氏の発言で「戦争犯罪を連合軍は裁いたけれど、日本人の手ではまだ裁いていない」と言うが、今更誰を裁こうとするのか。同じ海軍に席を置いた者として理解に苦しむ。

又、遺族のことを考えると、今まで本当のことをいえなかったが、特攻隊員は自ら志願したと言われているが、実は志願ではない。金モールをつけた連中は何もせず、自分達はただ命令に従っただけだと言う。しかし、自分から進んで志願した者も数多くいたことも確かである。選に漏れた下士官が上官に激しく抗議し、特攻戦死しているのも事実。

私の攻撃第5飛行隊も予科練の群像(P198)に書いてあるように昭和20.7.25第3航空艦隊司令長官、寺岡謹平中将の命により、全員特攻隊員(神風特別攻撃隊第7御隊)となり、即日、海兵70期の森正一分隊長自ら先陣を切り出撃戦死をした。軍隊では上官の命令は絶対服従であり、当時、我々下士官は死ぬ事の価値を自分なりに達観していたものである。平和な現在の価値観で半世紀前の人権など論じてもわかってはもらえまい。

そして、第一戦のパイロットはほとんど志願兵であった。

 

平成10年11月9日 予科練資料館館長 川野喜一

「戦争論3」を読んで 小林よしのり著作

祖國の繁栄と同胞の安泰を希ひ戦死された数多くの英霊の事すら忘れ去れがちな現在の日本。占領政策を忠実に守り、骨抜きにされ周辺國の内政干渉に甘んじ、危機意識も無く全くの無防備の為、今や我が國は犯罪大国となり、亡國の道を歩み始めた日本。今こそ憂国の志士が決起しなければ、日本の将来はない。市ヶ谷で三島由紀夫、森田必勝、両烈士が自刀(昭和45年11月25日)して今年が33回忌に当り、当時を思い起こさずにはいられない。

 

この戦争論くらいリアリズムに満ちた本はない。堂々と自己の信念に基づき発言し、恐れることを知らず、ずばり批判し逃げの一手はとらない書き下しに好感がもてる。

 

第十三章、侵略と虐殺の世界史、第十四章、解放と逆転の日本史で詳細に書かれている通り大東亜戦争は已むをえない戦いであった。時として人間は公であれ、個であれ負けることがわかっていても戦わなければならないこともある。ただ、文中で國内にある戦争にまつわる資料館の殆どが反戦平和を訴えるだけとあるが、必ずもそうとも言えない。

 

当資料館は世界の恒久平和を希求し散華された数多くの同窓の御霊を祭り、その供養と15年3ヶ月しかない予科練の歴史の資料の保存につとめ、真の平和とは何か、今何をしなければいけないか。平和、平和と叫んでいても決して平和は来ない。それは願望であって何の役にも立たない事、すさんだ現在社会の原因、世界で争いは絶えない事、道徳なき欺瞞の社会、政治家の発言の真意等々話題の場として提供している。

 

2001年9月11日ニューヨーク、マンハッタンの世界貿易センタービルにハイジャック機が次々と突入した事件で、日本の一部マスコミが日本の神風特攻と同じだと何回も報道していた。そのとき私は腹が立つと同時に情けなくなった。マスコミの頭はどうなっているのか。何故神風特攻と同じなのか。その区別も見分け出来ないのか。500Kの爆弾もろとも戦争している相手に突入するのと、民間機を乗っ取り民間人を道連れにビルに体当たりすることが何で同じか。特攻隊で亡くなられた英霊を冒とくした報道で許せない。

 

憲法九条については前感想で述べているように、政治家が憲法違反をして自衛隊員をイラクへ派遣した。その前に何故改正しない。先般小泉総理は5年先に改正すると悠長なことを言っている。自分の國を守るのは米国まかせ、何故自國民で守ることをしない。内政干渉が恐ろしいのか。一日も早く真の独立国となることを希望してやまない。

 

第十五章の特攻については、いろんな角度からとらえての記述に驚くとともに、真実に近いと思われる負の部分へも鋭く突っ込んでいる。(陸軍関係については良くわからない)志願か命令か、片道燃料か否か、遺書は真実か、テロとの違い、急降下の角度、最高の死に場所、戦法として、成功率、精神等多議に亘り詳しく述べている。

 

昭和19年10月25日関幸男大尉率いる最初の特攻隊は限定特攻であったにも拘わらず、成功率があまりにも良いので、軍首脳は次から次へと特攻作戦を続行し敗戦の8月15日まで続けられた。276頁の知覧の本で特攻隊員の主体性をいっさい認めないとあるが、軍隊の中では自己の主体性で行動等は出来ない。組織の中では上官の命は絶対服従であり、特攻が志願であれ、命令であれ論議するに当たらないのである。何も特攻隊員は軍國主義者でも無く、マインドコントロールされた者でもない事をはっきり言って置く。

 

著者は最後に道徳が必ず日本の真の國益になるとむすんでいる。

私はさらに付け加えたい。武士道、大和魂、伝統と文化をも。

以上。

 

平成15年12月25日 予科練資料館館長 川野喜一

東日本大震災に想う

政官業の癒着体制下で作られた原発が、今国民を奈落のどん底に陥れている。

 

我が国を戦後これ程震撼せしめた有事はない。にも拘わらず政府は、非常事態宣言にも匹敵する東日本大震災の惨状に右往左往、又政府に専門的助言を行う原子力安全委員会が、防災基本計画によってとるべき手順を踏んでなかったという初動の機能不全の失態は、以後原発の次から次へと発生する放射性物質の拡散汚染につながり、被害を大きくしている。

 

テレビの映像で見る限り被害は甚大で、人、家屋、車等、津波は容赦なく一気に飲み込む様は魔物そのものである。今回、最も危険であるのは、福島原発が被害にあったことだろう。人の眼に見えないやっかいな放射線だ。今から六十五年前、我が国は原子爆弾2発により広島、長崎の住民三十二万五千人を一瞬のうちに葬られた被爆国である。原子放射線の洗礼を受けた日本人は、その恐ろしさを充分すぎるほど知っているはずなのに、国策として進められる原発は安全であるという呪縛にかかった国民は安易に許容し、リスクを考えず、お上の言うことにしたがった。

 

それが今、前代未聞の大震災により、福島第一原発の被害で半径三十キロ以内の住民十三万人は厳しい避難生活を送っている。その補償は東京電力は勿論のこと国が責任をもって補償しなければならないだろう。

 

七十一年のスリーマイル事故、八十六年のチェルノブイリ事故、そして今回の福島原発だ。万物の霊長である人間は快適な暮らしを求め、科学の粋を極め、今では宇宙での滞在も可能になり、一方地球上では文明の利器を利用しての争いは絶えず、二酸化炭素による温暖化で地球の破壊が既に始まっている。

 

福島第一原発は廃棄以外考えられない。その廃炉にしても燃料の放射線漏れを完全に封じ込まなくてはならないのみならず、その廃棄場所が地球上にないことだ。そんな末恐ろしい物質を使い発電している原発。これを機に人類英知を結集し早急に別な方法での開発を願いたいものである。電力が足らないのなら国民一人ひとりが節電に協力すること。

 

戦後のことを思うと復興は必ずできると確信している。政府は四兆円かかると言う。それも政治家及び官僚が率先して国民に範を示すべきが先決である。国会議員が多すぎはしないか、又官僚の無駄遣いが多い。国民も錯覚した平和から目覚めよ栄耀栄華に明け暮れる現在の生活態度をあらため、日本人が一丸となってあたれぱ良い。政府は今回の災害を緊急事態と言うが、私は非常事態と思っている。

 

菅総理が何回も野党に対し内閣に入ってこの難局に協力してくれないかと要望していたが。谷垣氏は拒絶していた。この非常時に国会議員たる者何のための議員か不思議でならない。口を開けば国民のためと言うが自分のためにこそ議員になったのだろう。全く情けない役にたたない議員を何故、国民にも責任がある。幻想の民主主義を捨て、非常時に役にたつ、赤心の議員を熱望する。

 

今回の災害は北米プレートの5メートル上がったための自然災害であるが、我欲化した人間に反省を求めたものでもあると思われる。この非常事態を乗り越えるためには国民一丸となって真心を捧げ国の復興と安全、又社会公共のために貢献することこそ大切である。大津波の猛威に吞まれ亡くなられた二万七千六百人の方々(内特に児童生徒五百三十六人の命)に対し謹んでご冥福をお祈り申し上げますと共にご遺族に対しても心よりお悔やみ申します。又避難を余儀なくされている十五万人の方々に対してお見舞い申し上げます。

 

そして一日も早く復興をされますことを祈念いたします。

 

平成二十三年四月二十日

大分予科練資料館館長 川野喜一

質問と回答

訓練中及び任務において搭乗された飛行機は、どのようなものだったのでしょうか?

基地ごとに多くの種類がありますので、ここでは木更津基地の場合です。
・艦上攻撃機 流星改 (最新型であり最後の艦攻機)
・電撃兼用で20ミリ銃2丁、13ミリ銃1丁を備え空中戦能力をもった実用機として、当時の期待は大きく、速度・機動性では世界の一級機。
(エンジンは空冷式複列星型18気筒、4枚プロペラ)

特攻任務の時、航空機の燃料は、満タンにされていたのでしょうか?

当時燃料は血の一滴でしたので、特攻機の燃料は片道分しか搭載しません。
そのため出撃し、故障等のため途中引き返しても燃料切れで不時着したものが殆どです。

特攻任務の時、機銃弾は搭載されていたのでしょうか?

すべての機に搭載されています。
特攻といっても、艦上攻撃に入る前に空中戦も考えられます。

航空機の整備部品の補給は、十分だったのでしょうか?

木更津の場合は最新型「流星」だったので比較的ありました。
しかし、新鋭機といえども当時は学徒動員された女学生たちが部品を作っていたので、当然欠陥個所も多く故障機が多かったのも事実です。これも基地によって、機によって違いがあります。
外地の基地では部品どころか、飛べる飛行機そのものがない状態でした。

特攻任務の時は、4~5機の編隊で出撃したと聞いていますが、どうだったのでしょうか?

最初は、3機で1小隊、2小隊で1中隊、2中隊で1大隊でした。その後、戦闘機のみ、1小隊4機となったのです。作戦によって隊の数に関して、指令が出されたそうですが、ほとんどが1小隊でした。しかし、終戦間際では単機及び2機のみの出撃があったり、1人のみで特攻出撃し戦死した者多数おります。

乗員二人の方の任務は、どのような分担だったのでしょうか?

前席一人は操縦員
・操縦しながら偵察員の指示に従って行動する。
・敵と遭遇した場合は20ミリ機銃二丁で応戦する。
後席一人が偵察員(機長)
・機長であり、航法によって自機の航路を指示する。
・敵と遭遇した場合は13ミリ旋回機銃で応戦する。
・基地との連絡(無線は後席に設置)

任務中、基地との無線連絡はできたのでしょうか?

偵察員が常に行います。

出撃の時、どのような爆弾を搭載したのでしょうか?

搭載した爆弾は、機種により異なります。
流星艦攻爆   80番(800キロ)
零戦闘機    25番
彗星艦爆機   50番
銀河艦爆機   80番
一式陸攻    80番
九六、九九艦爆 25番

爆弾を搭載した場合、飛行状況及び最高速度には、どの程度の影響を受けるもの なのでしょうか?

通常、時速500キロの速度ですが、ここから約2割ほど落ちます。やはり、すべてにおいて飛行性能が若干落ちるようです。

出撃の時、護衛の戦闘機はあったのでしょうか?

以前はあったそうですが、終戦間際(昭和20年4月沖縄に米軍が上陸した当時から) の特攻の時はまったくありませんでした。

木更津基地の任務や存在した航空機はどのようなものだったのでしょうか?

【木更津基地の任務】
 東京防衛(帝都防衛)

【存在した航空機】
 艦上偵察機(彩雲)
 局地戦闘機(紫電・雷電)
 夜間戦闘機(月光)
 艦上爆撃機(彗星)
 艦上攻撃機(流星・九七艦攻・天山)
 陸上爆撃機(銀河)

流星とはどのような飛行機ですか?

流星は戦闘機ではありませんが、空戦性能が優れており、艦爆では出来ない宙返りや失速反転、上昇反転、クイックロール等が出来るすばらしい飛行機でした。しかし、生産機数は僅か100機足らずでした。
流星は艦攻(1トンの魚雷を搭載できる)と艦爆機です。

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