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「いわゆるA級戦犯」を読んで

A級戦犯など日本にはいない。國に与えられた政治手段であって、犯罪とは言えない。戦勝国が負けた國を一方的に裁くため、仮に付けられた名称にすぎない。
外国はA級のことばかり問題にしているが、BC級のことには一向にふれていないのは何故、彼らの裁判が公明正大、かつ真実の追究無き報復裁判であったかを、如実に物語る記事を紹介する。

松山空十四期会発行、坂本氏の、昭和十七年一月、日本初の落下傘部隊長として、セレベス島メナドに降下占領し、現地人捕虜の釈放、税を四分の一に軽減、貴重な軍の塩を住民に放出する等、善政に努めた、海兵五十期海軍大佐、堀内豊秋氏は戦後二十二年一月、B級戦犯として巣鴨に収容され二十三年九月、オランダ軍事裁判で死刑の宣告を受ける。
・ 降伏したオランダ軍将校に対し部下が殴打
・ オランダ軍指揮のゲリラ攻撃に対し、それを援助した村落を焼き住民を刺殺した罪

堀内大佐は「自分が残虐行為を命令した」と証言すれば、十数名の部下の命が自分の一命と引き替えに救われると。また裁判の際の自己証言で「最後に部隊長としての責任は喜んで取るが、残虐な暴行事件の犯人とされることは忍びない」と発言され、その立派な態度は裁判官の心を動かし、死刑(銃殺)の執行に儀仗隊を付し、武人として敬意を表したのである。
多くのインドネシア人の尊敬を受けた大佐、部下の散ったメナドで白菊の如く美しい態度で散るのだと言い残し、昭和二十三年九月二十五日午前八時、従容として死につかれた堀内大佐、享年四十七であった。

いわゆる戦犯で処刑された一千数十人でただ一人栄誉礼を以て銃殺された堀内大佐である。B級とは捕虜虐待を命じた者の罪である。元捕虜で構成した裁判官は何一つ戦犯に値することの皆無を知っているからこそ、儀仗隊と付けたことがそれを証明している。

パール判事の全員無罪論が真実ではなかろうか。パール氏が広島市の住職から「過ちは繰り返しませぬ」の代わる碑文を頼まれて書かれた、本照寺の「大亜細亜悲願之碑」の件、興味を持ちました。

平成18年8月10日 川野 喜一
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