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過去の記帳へ('96.7.26-'02.2.8迄)
来館者の感想文(大分のノートより)

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('02.2.12-06'7.16迄)
*メールアドレスは諸事情により削除しました。

投稿日付: 2006年 07月 10日 16:45
名  前: 城嶋正彦
タイトル: 有難うございます

私は昭和22年生まれです
貴方方のおかげで今の日本があると思っています
天国でお守りください

投稿日付: 2006年 06月 11日 14:43
名  前: takezawakatsuo
タイトル: 同期の夭折を偲び

合唱 
未だ...馬齢を重ねてます

投稿日付: 2006年 04月 25日 16:29
名  前: SAYURI HORN
e-mail : 83LEAWOOD ST.APTOS CA. 95003
タイトル:

Eirei no Minasama gata Arigatogozaimas !!
Minasama wa KAMIKAZE no namaeni fusawashi KAMISAMA deshita. ARIGATOUGOZAIMASU ! zinrui shijou 5000nen no rekiside motomo SUKOU na yamatotamashi o aisuru goryoshin sama gokyoudai okuni no tame MESHI no kokoro de migawari to nari konnichi no kisekitekina hazuten to heiwana daitasuno kokumin ga hinpu no saga sukunai risou kozuka o zukuru koto ga dekimashita .Watakushitachi wa minasama o kakegae no nai kokoro no takara mata jinsei no kyoushi to shite manabi kosei no hitobito e hokori to kansha de taisezu ni zutae te iku sekinin o kanji masu .kokorokara gomeifuku o oinori itashimasu. GASHOU !!

投稿日付: 2006年 04月 03日 15:30
名  前: 阿川五郎
タイトル: 兄の遺品の中に松山航空隊の戦友の写真がありました

兄は甲種飛行予科練習生として松山・済州島・松島・美幌等に居りましたが、復員後病死しました、遺品の中に戦友の写真などが有りましたので当時の戦友にパソコンで複写して送りたいとおもいます。

投稿日付: 2006年 03月 27日 04:34
名  前: カトウ (28歳)
タイトル: 戦争と平和に横たわるモノ

巷では、戦後60年経った今でも、自国の侵略戦争を批難する
メディアや教育が盛んになされている。
確かに誰も進んで戦争は賛成しないし、賞賛もしない。
かく言う自分も戦争の持つ凄惨さや悲しさ、そして憎しみの連鎖に支えられた
もっとも愚かな行為であると思う。
しかし、戦後に生まれ、情報が錯綜する時代に育ったものとして、
何故、日本人、日本といったモノに愛着や愛国心が芽生えないのか?
という現実に対して、良く言えばグローバルスタンダードに立っている
というのだろうが、悪く言えば日本という言葉に誇りをもてないで居る。
そうとも取れる程に日本という文化を捨ててきている様に思える。
戦争はいけないと聞く事は多くても、では何故戦争に到ったのか?
という問いは、非常に巧妙に禁句とされているようにも思える。

当時の世界の常識が白人至上主義・帝国主義に満ちていた時代。
今の常識が全く通用しない時代。国連でさえ差別を容認していた時代。
欧米列強から見た日本はアジアで唯一植民地を免れている小さい島国。
そんな評価を覆した日露戦争。
増長した日本を潰したい米英中ソとの壮絶な駆け引き。
戦争へと突入した結果は、褒められたものでは無いが、
しかし、日本という国を守る為の自衛戦であったという事実は改竄され
戦勝国の一方的な復讐裁判により下された判決を呑むしか無かった時代。
60年経った今も、後ろだけを振り返り自虐的に戦争を引きずるこの国に
愛着や誇りも沸こうはずが無い事実。

日本の未来を憂いて命を散らした先人達の意思は、
悲劇というフィルターを通され、捻じ曲がって伝えられている様に感じ、
昨今のマスコミに対する報道のされ方、
教育の方向性には全く持って遺憾である。
勝ち負けで語るのは酷く憚られるが、
戦争そのものには負けたが、その思想においては
欧米列強におけるアジア圏での帝国主義を終焉させた意味で、
その歴史的価値は非常に高かったと思う所もあり、
また、戦わずしての亡国は真の亡国を意味する所だとも思う。

ただ、今の日本はアメリカイズムが深く刺さり、
日本人の倫理や道徳が無くなっている様にも思える。だからこそ、怖い。
アメリカの経済は軍需に支えられている部分が多く、
武器を輸出したかと思えば、平然と戦争を起す。
そんな国の考え方の影響を受けて育った戦後60年。

戦争に良いも悪いも無いと冒頭で書いた通りであるが、
本質的にその事柄を把握する報道や教育をそろそろ考えないと、
日本というモノ、日本人というモノが霞んで見えてしまう時期に
差し掛かっている様にも思えてならない。

平和の対義語は戦争と教わった。
しかし、戦争は行為であり、平和は状態である。
穿った見方だが戦争が無い状態を平和といっているだけなのである。
人は自分のパーソナルスペースに他人を入れたがらない。
だからこそ戦争は何時の時代も起こりうる行為なのである。
中国は急速に軍備を近代化し覇道主義を貫いている。
中東は変わらず火種をもたらしている。
アフリカは未だに帝国主義の名残を引きずっている。
何時の世も争いが無くなる事が無いのが現実なのである。

大切なモノを守るためには命も厭わない。
そんな気持ちが、神風と言われた特攻隊の本質であり、
決して悲しみや悲惨の象徴では無い。と私は思う。
先の大戦で亡くなられた方は今の日本をどの様に見ているのか?
嘆いているのか。。。喜んでいるのか。。。

最後に、戦争で亡くなられた全ての国の方々に追悼の意を込めて。。。

投稿日付: 2006年 03月 26日 11:30
名  前: 瀬戸口 理枝子
タイトル: 土浦には何度も行きました。

あの記念館に行く度に、平和のありがたさや教育の大切さを感じます。
戦争に行った父の墓参りの帰りに寄るのですが、もし、亡くなれた方々の母親だったらと思うと、涙が止まらなくなります。3人の息子を戦場に送らなくてすんだ、今を感謝しています。でも、今の日本を亡くなられた方々に胸を張ってみてもらえるだろうか?一人一人の命の重みをわかっているだろうかと、考えます。
今年昭和39年以来42年ぶりに靖国神社の就遊館に行くつもりです。
国の為に亡くなられた方々に会ってきます。

投稿日付: 2006年 03月 23日 10:37
名  前: 花澤
タイトル: 乙飛15期の

伯父が昨日亡くなりました。予科練出身とは聞いていましたが、当時の事を話さないので、彼が乙飛15期と知ったのは、先週の事です。体調が悪いとの知らせで見舞ったときに、初めてその当時の話をしてくれました。予科練志望時の心情や、その頃の様子等。話の途中で疲れたらしく、続きは来週また話すと言われ、入隊以降の話を楽しみに、伯父の家をあとにしましたが、翌日から極端に容態が悪化し、話を聴けぬまま、逝ってしまいました。
残念ながら元練習生の方達の高齢化が進んで、亡くなる方もいらっしゃると思います。このサイトは非常に貴重に思います。大事な資料を残す為に頑張って下さい。

投稿日付: 2006年 03月 21日 21:54
名  前: 平林 誠
タイトル: 再発信です。

失礼しました。
誤って送信してしまいました。
この度Yahoo!ブログに以下のURLのページを開きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/s3_mack/1008062.html
内容は、当時のアルバムのページ抜粋で以下のとおりです。
「先ずはページの抜粋なので少ないですがご覧ください。
海軍の手箱(小物入れ)に入れていた回収を逃れたものです。この「想ひ出」アルバムを出身地の東京の自宅まで復員時に持って帰りました。
写真は、横志飛*****の自分、「想ひ出」の表紙、聖訓五箇条、第五十三分隊第五班、安芸ノ海慰問_相撲大会優勝、甲種第十四期第五十三分隊相撲競技優勝記念などを添付します。」と記載しました。
よろしければ先ずはブログをご参照ください。


投稿日付: 2006年 03月 15日 15:04
名  前: T.T
タイトル: 感銘しました

先日、呉の大和ミュージアムに行き、展示されていた零戦や回天の模型を見ました。その時に[命を張ってまでして行なった攻撃]に対して感心をもち、色々調べるうちに、ここまで辿り着きました。 言葉が思い付かないぐらいの衝撃を受けました。たくさんの方々に護られ、今の世に生まれてこれた事に感謝します。館長様を初め、歴史の真実を伝えようと努力されてる全ての方々の御多幸をお祈りいたします。                          T.T 25才 女

投稿日付: 2006年 03月 06日 17:39
名  前: 白井敏夫
タイトル: 散華した御霊に拝す

私は甲飛14期で77歳です。終戦時は房総の一角で飛行機の格納壕堀りの土方作業をやっておりました。当時は戦況は一切分からずに敗戦を迎えました。今、あらためて先輩や同期生達の遺書に接し、何ともやりきれぬ申し訳なさに心が震えてきます。ひととき巷では、「予科練くずれ」だとか、「どか練」とかと言われ肩身の狭い思いをしてきましたが、当時をよく知る我々がこの悲劇の主人公達の気持ちを永遠に語り継いでいかなければならないと痛感します。このような資料館を立ち上げて下さったことに深く感謝いたします。

投稿日付: 2006年 02月 18日 19:49
名  前: 江口さやか
タイトル: もっと広がってほしい。

はじめまして。特攻隊について出身の大分県で検索し、拝見させて頂きました。出身地であるにもかかわらず、このような施設があることを知りませんでした。次回の帰省の時にはぜひ家族で伺いたいと思います。私が学生の時は大分県の学校は終戦記念日が登校日になっており、戦争学習がありました。内容としては戦争の映画をみたり、戦時中の事を学び皆で黙とうを捧げた記憶があります。子供ながらにこれはとても重要で必要なものだと感じた覚えがあります。その後、大分を出て、他県の友人に聞くとそのような事はなく普通に夏休みだったよとの事。ぜひ全国の子供たちにもこのような機会をと思っております。そして大分県の学生には社会見学などで取り上げて、戦争の過去を振り返り、平和の意味を感じてほしいと思います。60年が区切りのようになっていましたが、これはとても怖いことです。戦争を知らない人が増え平和を実感できない日本が生まれてくる可能性があります。『私たちは二度と過ちを繰り返しません』それを忘れてはならないし、過去の人の言葉にしてはいけないと痛感しています。平和がいかなる犠牲の上に成り立っているのか十分心得て、私たちは平和を尊ぶ想いを受け継いでいかなければならないと思いました。一人から世界へ、平和の広がりを祈っています。

投稿日付: 2006年 01月 26日 18:56
名  前: 藤村 明
タイトル:

奈良空の13期生です。インターネットを開いてみてあなたのホームページを拝見しました。一度大分まで訪問したいと考えています.その時には事前に連絡いたします゜どうぞよろしく。

投稿日付: 2006年 01月 06日 14:41
名  前: 齋藤
タイトル: 父も予科練にいたと聞いています

私の父は海軍航空隊予科練第13期(甲種)68分隊の100名の中にいたそうです。
つい、昨年の5月まで元気にしておりました。現在は入院しております。
今まで余り昔の話を聞いた事はないのですが、先日「男たちの大和」という映画を観て、「そういえば、父も特攻隊予科練にいたと聞いたな」と思い出し、心が落ち着かなくなりました。現在、父から話を聞ける状態ではないのですが、こんなに身近な人が壮絶な生き様をして来たとは・・・言葉がありません。
過去のこうした貴重な資料は、これからも出来る限り多くの人達に伝えていかなくてはならないと思います。

投稿日付: 2006年 01月 01日 16:41
名  前: 和人
タイトル: 初めまして

私は京都在住の42歳男性です。
私の親父は、当時の小学校を卒業し、海軍予科練に合格致しまして
昭和17年5月1日、土浦に入隊致しました。
乙18期です。操縦として、九州の富高で赤とんぼ、後に大村航空隊でゼロ戦に乗り、
終戦までは、静岡の金谷と言う所で、偵察員の養成のための操縦士として、白菊に搭乗しておりました。
恥ずかしながら、この年になって、親父の青春時代に興味を持ち、話を聞いているうちに
親父の経歴などに深く感動しました。
予科練について調べるようになり、貴殿のHPを拝見させていただき、気が付いた事を親父と話しております。
親父曰く、飛行機に乗れたのは18期までだそうで、それ以降の予科練生は壕掘りなどが主だったそうです。飛行機が無かったと聞いております。
私は、親父を誇りに想っております。そして感謝しております。
ただ兵籍番号など調べようが無く残念に思ってます。
親父は今年79歳になりますが、78に思えぬ元気で生きております。
何を言いたくてここに書き込みさせていただいたか、わかりませんでしたが、
ただ、こんな男がまだ生きていると言う事の報告までと思っていただければ幸いです。
どうも、お騒がせいたしました。
では、お元気で。

投稿日付: 2005年 12月 24日 00:34
名  前: 前田 進
タイトル: 小泉・麻生による米追従の売国・亡国戦争政策を挫折させよう

小泉・麻生による米追従の売国・亡国戦争政策を挫折させよう

前田 進  


  最近中国を訪問したラムズフェルド米国防長官は、中国の国防費増大に懸念を表明したが、しかし米国にとっての現実的脅威とは考えていない、と言明した。
 ところが、毎年世界第二位の軍事予算を使って軍備増大を続けている日本のセメント製造資本家麻生外相は、05年12月22日の記者会見で中国が現実的脅威だと公言した。同時に小泉は、靖国神社に代る追悼施設の建設用調査費の計上を拒否する言明をした。それは何故か?
 それは、これによって彼らが中国との関係悪化を激化させることを狙っているからである。
 それは、新約聖書の「ヨハネ黙示録」の核ハルマゲドン予言(実は古代の悪のシリウス人らの地球壊滅方針だった)を目的意識的に推進しているブッシュと米キリスト教福音派のネオファシスト一派「ネオコン」の米政権が、イラク占領後にイランに侵攻し、さらに対露「先制核ハルマゲドン」を目指している地球破壊・人類破滅の戦略に日本を組み込むためであり、日本国憲法を改悪して海外派兵、米軍支援の参戦という売国・亡国の路線を正当化するためであり、特に憲法改悪に世論を駆り立てるためである。こうして小泉は現代日本版ヒトラーになりつつある。だが「戦争になったら日本列島は3発の水爆ミサイルで蒸発しちゃうよ」と、3,000発の核弾頭があるロシアの人々は言っている。
 日本の勤労人民は米日帝国主義のこの核戦争路線を挫折させるため、闘わなければならない。

投稿日付: 2005年 12月 16日 21:48
名  前: 高橋 渉
タイトル: 貴重なページ拝見しました

私は甲飛15期。当時16歳の少年でしたが勇躍志願、丁度1年在籍実戦参加の機会なきまま終戦を迎えました。奈良分遣隊(三重空)から小松.神町.大湊と転属、大湊で初めて敵機の攻撃を受けたのが終戦前1週間程でした。いまだに年2度同期会を開催当時を忘れないでいます。

投稿日付: 2005年 12月 03日 19:57
名  前: まつむろ
タイトル: 海自小月航空基地に旧海軍航空隊(予科練)資料館立ち上げの件

小月基地 木村 啓 司令から旧海軍航空隊・(予科練)関係の資料展示室を造りたいとの希望を聞き、何とか協力をしたいと思いますので、大兄のご指導を頂きたいと存じます。年が明けたら一度貴資料館を見学かたがたご指導をいただきに参りたいと考えております。

投稿日付: 2005年 11月 18日 17:08
名  前: 上村秀樹
タイトル: 友人の河村博史【呉】さんから聞きました

熱心に研究しています河村さんから話だけよくきいています。
メールでも送ってあげてください
 河村さんのアドレス qqt782hd@clock.ocn.ne.jp

投稿日付: 2005年 10月 24日 15:52
名  前: 左座善信
タイトル: 予科練資料館を拝見しました。

福岡在住の42歳の会社員です。小学校の頃、霞ヶ浦の資料館に見学に行った事があります。幼いながらに心が熱くなった事を思い出しました。その後、靖国神社の遊就館や知覧の平和記念館なども訪問して、若くしてお国の為と信じて尊い命を奉げられた隊員の勇士に頭が下がるばかりです。

投稿日付: 2005年 10月 18日 21:35
名  前: 河村博史
タイトル: 教えてください

予科練の勉強をしている者です。乙種飛行予科練習生(特)について教えてください。特乙の選考基準は年齢のほかに何かあったのでしょうか?特乙の驚くべき短期での育成はいかにしてなされたのでしょうか?甲飛、乙飛のキャリキュラムとどう違っていたのでしょうか?海軍は特乙を搭乗員の短期での育成のモデルケースのようなものとして考えていたのでしょうか?ご存知の方、是非メールで教えてください。よろしくお願いします。

投稿日付: 2005年 10月 08日 05:08
名  前: 河村
タイトル: 呉の河村です

いつもお世話になります。私もやっとパソコンをインターネットにつなぎメールができるようになりました。
先日、高野山で特乙10期の方に会いました。バスを待つ時間の短い立ち話でしたが、予科練は高野山航空隊,飛練は人吉、串良基地を経て、佐世保で終戦を迎えられたとのことでした。海軍の略帽をかぶっておられたので声を掛けました。高野山で慰霊祭を行われるとのことでした。

投稿日付: 2005年 09月 13日 20:37
名  前: 根岸  均
タイトル: 特攻隊員に捧げる言葉

第二次世界大戦開戦時に出生した者として、興国の念に燃え若き生命を捧げた尊い方々に、いま、平和の時代を過ごすことが出来ることに、多大な尊敬を思うと同時に、心から哀悼の意を申し上げます。
私は、皆様方の10分の1にも足りませんが、地域社会の幸福と安全のため、警察官として犯罪捜査で悪に立ち向かい、どうにか職責を全うし退職しましたが、現在も多発する凶悪事件の防止のため、足かせとなるべく地域防犯の礎となるようボランティア活動を行なっていますので見守っていただければ幸いに思います。

投稿日付: 2005年 09月 12日 20:18
名  前: 米田一成
タイトル:

海上自衛官の米田一成ともうします。
1976年(昭和51年)1月1日に佐世保地方総監部幕僚長で退職された海将小島正美さんのプロフィールが知りたいのですがわかりませんでしょうか、期別は海機52期です。

投稿日付: 2005年 09月 12日 20:17
名  前: 米田
タイトル:

海上自衛官の米田一成ともうします。
1976年(昭和51年)1月1日に佐世保地方総監部幕僚長で退職された海将小島正美さんのプロフィールが知りたいのですがわかりませんでしょうか、期別は海機52期です。

投稿日付: 2005年 09月 10日 11:28
名  前: 小南
タイトル:

若くしてこの国そして家族の為に命をかけて戦い儚く散っていった皆様方のご冥福を心からお祈りいたします。今現在私達は皆様方のおかげで平和の大切さや命の大切さを学ぶことが出来ています。心から感謝しています。この平和な時代にあなた達と出会いそして友達になれていたらよかったのになと思います。いつかゆっくり時間をとって予科練資料館に行きたいと思います。

投稿日付: 2005年 09月 06日 14:48
名  前: 前中 康博
タイトル: 「十八期の碑」に詣でる

先日、京都の高台寺近くにある「十八期の碑」に行ってまいりました。
今年の3月、厚生労働省に依頼していた軍歴証明が届き、確かに私の叔父が「第18期乙種予科練習生(S17.5/1入隊)」ということを知り、尚且つ その追悼のための石碑が住んでいる所に近いということもあって、いても立っても要られず一人で向かいました。
石碑の前に立つと胸が締め付けられるような気持ちになりました。
「また、近いうちに来ます」と心の中で受難になった叔父に語りかけ、その場を離れました。

投稿日付: 2005年 08月 31日 14:10
名  前: 小岩井 金治
タイトル: 「予科練資料館」を見て

 小生は昭和19年12月予科練24期生に入隊希望でしたが、体調を崩し適わず
非常に残念を体験し、現在も慙愧に耐えません、諸種の資料を拝見し当時の想いを
再考しております。今後収集された資料も是非ともご提供戴きますよう、お願い申
し上げます。

投稿日付: 2005年 08月 27日 01:28
名  前: 赤畑寿哉
タイトル: 私の叔父について

 私の叔父は予科練に行って居りました。
名前は「赤畑武士」戦後は自衛隊に一時居り歯科医を営んで居りましたが、
平成6年に他界致しました。
 この叔父の入隊年月日等解るものでしょうか?
場所は霞ヶ浦と聞いて居りましたが、詳しい事は解りません。
 多分昭和4年生まれですので、昭和18年辺りであろうと推察して居ります。

投稿日付: 2005年 08月 25日 07:10
名  前: 瀬戸のお祭り小僧
タイトル: 岩国飛行場にて

昨日岩国飛行場、通称ベース内の岩国航空資料館を見学しました。
資料館は多くの模型や日本領土だった頃の岩国基地など多くの写真や遺書などが展示されており大変勉強になりました。
資料館は入場無料で自衛隊専属の案内の方が丁寧に説明してくれて館内を見学すると言う形となり当時の事が大変良く分かります。
この様な資料館が有ると言う事をなかなか知らない方も多いと思いますので、興味のある方は機会があれば是非覗いて見られたら良いと思います。

投稿日付: 2005年 08月 25日 03:34
名  前: 33才 女
タイトル:

 初めまして。戦中は10歳の子供だった父からいろいろと話をきいているうちに
太平洋戦争のことを知りたいと思い色々と勉強している33才の女性です。
戦後60年ということもあり終戦記念日前後はいろいろな番組が流れると思い期待
していたのに、50年の時よりも特別番組が少ない気がするのは私だけでしょうか。
 本や映画を見て其の地に行ってみたいと思い、広島や長崎、沖縄南部や知覧に鹿屋、
パールハーバーも行ってみましたが、行く先々で思うのは「このことは絶対に風化
させてはいけない。貴い犠牲のうえに今の日本があることを覚えていなければならない」
ということでした。こんなことを言っては戦中に御苦労をされた方々に失礼かもしれま
せんが、あの時の戦争は川の流れのように「なるべくしてなった戦争」のような気が
します。今となっては先人の苦労を糧とするしかない我々の世代はまずは覚えておくこと
決して忘れないことが一番大事だと思っています。 
 長々とすみませんでした。次回九州に行く時にこちらの資料館にも寄らせていただく
つもりです。それと、これからもHPにはお邪魔させていただきますね。

投稿日付: 2005年 08月 18日 22:47
名  前: 久村 洋平
タイトル: 恐縮ですが・・・

私は涙腺が硬いのか今の世の中のどんなドラマや映画を見ても殆ど泣きませんが、特攻隊員の遺書を読むと涙がでます。特攻隊員や勇敢に戦って戦死した人達に恥じないよう生きていきたいと思います。28歳の会社員より

投稿日付: 2005年 08月 13日 13:45
名  前: ぎんたろう
e-mail :
タイトル: 靖国に行こうと思います。

靖国に行こうと思います。今まで全く興味すらありませんでしたが、たった今から変わりました。靖国に行って感謝の気持ちを伝えたいと思います。

投稿日付: 2005年 08月 12日 16:33
名  前: 田口昌喜
タイトル: 戦没者に送る言葉

日本国の為に、短い人生を奉げていただき、皆今日を迎えることができています。
我我は、今こうして、自由な人生を送らせていただいており、感謝いたしております。家族に対し、悔いは無かったのでしょうか さぞかし無念ではなかったかと想像いたします。安らかにお眠りください。

投稿日付: 2005年 08月 08日 20:19
名  前: しんや
タイトル: 「特攻」

私は新潟県内で働いている25歳の男です。
私は「特攻」という行為、精神に激しく魅かれます。
そこには勇気・根性・度胸・諦め・開き直り等、様々な感情
の鬩ぎあいや葛藤があったと思います。私が最も感銘を受ける
のはそこにある犠牲愛です。自身の命を捧げ、国、仲間、家族
の為に尊い命を捧げる。究極の愛であるとさえ感じます。

私には特攻という戦法を見たまま聞いたまま肯定する事はでき
ません。ただ、そうした事があった事実と、そこに介在した多く
の人の心・気持ちは最高に美しく、また、至上のものの一つで
あると感じます。

以上

投稿日付: 2005年 08月 05日 20:51
名  前: 18歳
タイトル: 特攻隊

初めまして。私は修学旅行で知覧特攻記念館へ行きました
こちらの予科練資料館には行った事が無いのですが
是非足を運びたいと思ってます。
<特攻隊>という名前は学校で教わりました、その人たちの
した事も教わりました。でもそのときはただテストに出るから、、、
覚えていただけでした。しかし、記念館で館の人の話を聞き
大きな衝撃を受けました。私達と同じくらいの(当時17歳)
方がこの大空で散っていった事。
故郷には大切な父母がいて、兄弟がいて、恋人がいて
そんな人たちと、日本のため自らを犠牲にした。
【突撃前夜、どんな気持ちで過したのかは私達にはわかりません。しかし
次の朝、枕シーツを取替えに行く係りの人(??)は突撃する人の枕が涙で
びっしょり濡れているのを見たそうです。しかしその方は朗らかに微笑みながらこの大空に散っていったのです】と言う言葉を聞いた時私は、周りを気にせず
泣いてしまいました。しばらくして周りを見回すと、友達も先生も皆泣いていました。
日本のため故郷で待つ家族のため、敵軍に突っ込んでいった彼らの願いは
今のこの日本はかなえているのでしょうか。
絶えない殺人事件・自殺・・・。彼らが何故自らを犠牲にしてまで
日本を守ったのか。これからの日本に大きな期待をしていたからなのではない
でしょうか。
もうすぐに日本の担い手になる私達・・・
このことをしっかりと考えなくてはならないと感じました。
長文失礼いたしました。

投稿日付: 2005年 08月 04日 18:58
名  前: 松室将幸
タイトル: 貴所を是非近いうちに訪問したいと思っております。

甲十二期大分県甲飛会事務局長鈴木兄より連絡がありました。是非一度貴所訪問させていただきたいと考えております。又、予科練関係の会合でもありましたらお誘いくだされば何時でもはせ参じます。大分は忘れることの出来ない青春時代の故郷のような気持ちでおります。

投稿日付: 2005年 07月 30日 15:15
名  前: 鈴木
タイトル: 終戦60年を前に

60回目の終戦記念日が来ようとしています。特攻戦死者は60年を過ぎて尚、当時の若者の家族や国に対する純朴な姿の象徴として語り継がれて来ました。現代の日本の若者を見るに付けやりきれない思いがありますが、これも時代の流れなのでしょう。しかし忘れてならないのは特攻だけが英雄ではなく、遺書を書く暇もなく無念に死んでいった多くの兵士がいたということも忘れてはなりません。全ての兵士が礎になり今の日本が繁栄しているのです。特攻については狂気の戦術といわれますが、それでも家族と国を守る事を胸に純粋に散っていった彼らに涙せずにはいられません。合掌。

投稿日付: 2005年 07月 28日 00:13
名  前: 伊藤雅紀
タイトル: 二度と戦争などしてはいけない。

こんにちは、私は戦後生まれの男性です。私自身戦争の体験は無いんですが戦争の悲惨さはテレビの映像により私たちに伝わってきます。私の父親は昭和一桁なもので戦争中は軍需工場で働いていたそうです。その軍需工場で1度空襲にあい死の一歩手前までいったらしいんです。でも今の平和な日本があるのは尊い犠牲になっていただいた先輩たちのお陰だと私はいつも思っております。子供にも戦争はしてはならない・・・それが犠牲になっていただいた先輩たちの心からの願いだったんじゃないですか? そしていつまでも平和日本を私たちが次の世代まで維持をしていかなけれならないのではないだろうか。

投稿日付: 2005年 07月 27日 18:13
名  前: まつむろ まさゆき 松室將幸
タイトル: 大分基地に関する情報を集めております

甲飛16期寶空より大分基地に転属終戦を迎える。記憶が薄れ所属部隊のことを調べております。記憶では。第12航空・・・ウ一一○このくらいです。第十二は第十二連合航空隊か第12航空戦隊かとも思いますが定かでは御座いません。ウ110は確かに記憶しております。先日大分県甲飛会事務局長鈴木克巳氏甲十二期を訪ねはじめて基地跡に参りました。何か参考になる情報がありましたら是非お教えねがいたいのですが宜しく御願いいたします。

投稿日付: 2005年 07月 18日 22:27
名  前: park young joong
タイトル:

I live in seoul korea.
thanks,vey much.

投稿日付: 2005年 07月 12日 16:57
名  前: 石塚 翔悟
タイトル:

 私は静岡県出身の18歳の学生です。
 これまで新聞記事などで靖国神社に関わる問題を知った時は、戦没者の供養ならば他の神社等でもできる、と考えていました。しかしこのホームページの「特攻隊員の遺書」を読ませていただき、その考えは変わりました。終戦の日に毎年首相が靖国神社に参拝するのは日本人として、日本のトップとして、国を守ろうとして命を捨てた方々への当然の礼儀だと思います。
 ただ、「正しい行為」としての靖国神社参拝が周辺諸国間の争いの種になっているのは本当に残念でなりません。日本は列強に侵略されないように富国強兵政策をとり、列強から自らを守るために他国を侵略し石油を求めて南に進んで行った、そのうえで運悪く負けてしまったのだと言う意見も聞きます。連合諸国側は彼らなりに日本を攻撃する理由があったと言います。
 戦争とは、大方双方共に正しいと信じている言い分があるために起こるものだと思います。双方が「自分が正しい」と信じながら殺し合いをし、罪の無い人まで巻き込んでいくので、戦争は悲しいものなのではないかと思います。
 日本人が靖国神社に参拝するのは当然の事です。しかし、日本に侵略された周辺諸国の方々の気持ちを思うと、彼らにも靖国神社参拝を非難する正当な理由があるのだと感じます。「戦争を繰り返してはならない」といいながら同じ過ちを繰り返さないためにも、私たち若者が「なぜ戦争は起きるのか」、また「どうすれば戦争を回避できるか」と言う事を考える必要があると思います。それが戦没者の方々への本当の供養なのではと思いますが、まだ若く何も知らないためこれと言った答えはまだ見つかりません。ですが、これからも勉強は続けて行きたいと思っています。

投稿日付: 2005年 07月 10日 16:14
名  前: 道上 江梨子
タイトル: 遺書を拝見して

特攻隊のみなさまの遺書を拝見させていただき自分の生きかたに恥ずかしくなるばかりです。遺書を読んで胸が熱くなりました。また、自分に甘えそうになったり、めげそうになったりした時には、また読まさせて頂きます。

投稿日付: 2005年 07月 07日 11:52
名  前: T/OKADA
タイトル: 特攻隊員の方々の最後の手紙を拝見して

自分より若い多くの方々が「お国のため」「愛する家族のため」に大空に散る、出撃間際の心境を綴った手紙。今の日本があるのは彼らの尊い犠牲の上に成り立っている事が改めて実感出来た気がします。

投稿日付: 2005年 07月 05日 09:58
名  前: 藪木三郎
タイトル: 慰霊申し上げます。

南瞑渺茫の海に散華せし先輩に謹んで慰霊申し上げ、安かれ鎮まり給えと祈りを捧げます。
過日、鹿屋空の特攻慰霊碑に詣で、海自鹿屋基地内の資料館を訪ねたとき、解説広報官の最初の言葉に「英霊たちは問うております。私たちは今も活かされていますか、日本は大丈夫ですか」と。60年を経た今のニッポンに生きる私は「先輩!日本は間違いなく大丈夫です。先輩たちのいのちは立派に活かされております」と自信をもってお応えすることが出来なかった。
経済復興は成したが私たちには終戦時の悔しさ、崩壊の原点に立ち戻り精神的再興精神的な復興が欠けているのでは。
折口信夫詞「鎮魂頒」を捧げます。
はれ、さやけきや、神うまれたまえり、この国をやす国なすと、あはれ、そこよしや、神ここに うまれたまへり

投稿日付: 2005年 06月 30日 02:29
名  前: 桜花
タイトル: はじめて書き込みます

今、靖国問題などの議論が高まっているようですが
靖国神社自体は旧日本の軍人たちが祀られている場でありますから
外国人にとやかく言われる筋合いはないと思います。
昔の自国の軍人の英霊に対し感謝の意を表すのに
なぜ、外国が口を出してくるいわれがあるのでしょう。
まぁ、A級戦犯が合祀されているのは知っていますが
そのA級戦犯たちだけに対し参拝しているのではない事を
諸外国のトップたちもわかってほしいです。
自国のために死んでいった英霊に対し敬愛の意を表すのに
何の反対理由があるのでしょうか?もっと冷静に考えてほしいと
思います。そして今の若者・・・昔、日本に予科練という存在があったことを
もっと知ってほしいと思います。。

投稿日付: 2005年 06月 27日 23:46
名  前: 藤田 晃弘
タイトル: 追悼

今の私たちが平和に暮らせるのも貴方達がいたからだと痛感しました。
ほんとうにご苦労様でした。
くじけそうになったときは貴方達の強い心と、親孝行の気持ちを思い出させていただき、日々一生懸命生きようと思いました。
日本が戦争に突入したことから現在に至るまで、娘にも伝えていか無ければならないと思っております。 心からご冥福をお祈りいたします。
28歳 会社員

投稿日付: 2005年 06月 24日 15:37
名  前: 戦没者の孫
タイトル: 先がけて散りにし人の悲しみを我がものとせむこの道をゆく

http://members.aol.com/SNForever/
http://syusuke3821.web.infoseek.co.jp/
http://tetsusenkai.net/members/0015kurouri/nomura/
http://guns-road.hp.infoseek.co.jp/
http://mypage.odn.ne.jp/home/syusuke3821/
http://risorgimento.co3.jp/

投稿日付: 2005年 06月 12日 23:56
名  前: 来 龍太
タイトル: お元気してますでしょうか?

零戦のプロペラがある所ですよね?去年一度訪問させて頂きました。変わった苗字ですが純日本人です。
ひとつご質問があるのですが、終戦記念日の訪問は可能なのでしょうか?もし可能であれば訪問したいのですが・・。

投稿日付: 2005年 06月 12日 14:49
名  前: 村田増隆 49歳
タイトル: 疑問

一国一城の舵を取る主である内閣総理大臣が、なぜ靖国を参拝することの是非を
問われなければいけないのでしょうか?

投稿日付: 2005年 05月 31日 01:26
名  前: 本田
タイトル: 伯父の最後を知りたい

私は昭和20年9月生まれ、終戦直後に生まれました。
伯父の最後の場面を知りたくて投稿しました。
母の実弟で、海軍上等飛行兵曹、偵察(特通)・木村吉宏(滋賀県出身)は乙種第16期生で、昭和19年10月26日比島方面海戦ニテ戦死(当時21歳)と役場よりの戦死通報のみの報告となっております。一式陸攻機に搭乗していたときいています。
決戦を前にした、同僚の寄せ書き、遺書、荒鷲のメダル等、両親を
若くして亡くし、唯一の嫡男であったにもかかわらず、皇国のために奉じました。
姉である母は生前、元気で勇敢であった弟の話をよくしてくれました。母は亡き後、60歳前になって、伯父の遺品を詳しく点検して
多くの若き仲間が南方に散った現実を考える時、今の日本の国家の
あり方に義憤の毎日でございます。
このサイトで神風特攻隊の戦没者名簿があることを知り、伯父の
名前があるのではと、探しましたが載っておりません。
仲間の皆さんで生存しておられる方はもう少ないと思いますが、
どなたかご存知の方がおられたら、ご連絡お待ちしております。
よろしくお願いいたします。

投稿日付: 2005年 05月 18日 20:50
名  前: fujimura akira
タイトル: kichou shimashita

全く同感です。貴殿の主張されている文章を拝見し、意を強く致しました。
私は、甲飛13期の後期の昭和18年12月入隊の者です。奈良空から水操練習生として
愛知県の第二河和航空隊に赴き,操縦訓練に明け暮れましたが、昭和20年6月に霞空
に転属、さらに7月には山形県の神町航空隊に転属となり、中練特攻として訓練開始
と同時に終戦になりました。
今後ともよろしくお願い致します。

投稿日付: 2005年 05月 05日 14:51
名  前: タラソー
タイトル: 合掌!

今の日本を創りあげて下さった先人達へ。本当にありがとうございます。貴方達のおかげで日本はモラルの高い優秀な国になりました。先輩達の犠牲を無駄にしない為にも国際社会国際政治の世界でしっかりとスタンスを決めて生きて行きたいと思います。今思う、本当に日本という国に生まれてよかったです。次に生まれ変わるとしたら先輩達と同年代に生まれたいです。話をしてみたい!僕もいずれは死にます、その時は靖国でいろいろ教えて下さいね。与えられた人生をまっとうしたく懸命に生きます。

投稿日付: 2005年 04月 22日 22:08
名  前: まりな
タイトル:

学校で使っている歴史の資料集に特攻隊員の写真が載っていてその少年の微笑む顔が忘れられず、インターネットで調べていました。 私にはー国のために命を捧げるーという気持ちが分かりませんが、少年たちをそのような環境においた政府は本当にひどいと思います。

投稿日付: 2005年 04月 12日 09:53
名  前: 土屋広康
タイトル: 質問です!

4月7日早朝、戦艦大和沈没の日に伯父が他界しました。
昭和5年1月15日生まれで、昭和20年になって入隊したと
聞いています。
出身は岐阜県の瑞浪市です。
氏名は「土屋寛助」といいます。
同じ隊だった方、また当時をご存知の方、ご返信願います。
ciaohiro@cj9.so-net.ne.jpまで
土屋広康

投稿日付: 2005年 04月 11日 22:53
名  前: す すごい
タイトル: 貝山緑地(横須賀)知ってますか

 田浦に予科練発祥の地の碑があります・・・
 考え深いものを感じ取りました。非常に今の平和ぼけした世の中・・・身につまされる思いです はい

投稿日付: 2005年 04月 09日 13:06
名  前: 大嶋正和
タイトル:

私の父も予科練出身です

投稿日付: 2005年 04月 08日 01:20
名  前: 宮川
タイトル: 軍歌 神風特別攻撃隊の歌を聴きながら・・・・

血飛沫の海に沈みつつ、なおも御國の護り神〜  日本国の護りの為に神風特別攻撃隊として出撃され我が身を肉弾攻とし命を引替えに戦果を上げられ、日本國の護り・國民の護りの礎になられた諸兵の方々の思いを受け継ぐ為にも日本の平和を維持・継承する心が、現国民の責務と思われます。  我が身を犠牲にしてまで、日本國・家族を護ろうされた心根を受け継ぎ、大和魂を継承していきたいです。        日の丸・君が代は國を世界に知らしめる大切な財産とおもいます。 卒業式・成人式にて掲揚されない一部教職者の態度に疑問を呈する。

投稿日付: 2005年 03月 23日 10:49
名  前: 田中
タイトル: 永眠

3月19日、妻の父上が永眠致しました。戦時中の事はあまり話さない父上でしたが、生前、予科練に入隊し、終戦まで台湾の高雄で勤務していたそうです。戦闘機「銀河」に搭乗し、ラバウルまで何度か行ったそうです。それが、青春の思い出だったみたいです。

投稿日付: 2005年 03月 18日 14:52
名  前: 木下
タイトル: 特攻隊員の遺書を見て。

この国の為に、命を捧げた方々の遺書を見て感激いたしました。24歳になりますが、私たち若い世代のほとんどが、今の日本の豊かさの理由を知りません。そして大東亜戦争につても・・・。戦争という行為は善悪の単純な考え方では理解はできません。歴史学、人間学の極地だと思います。いまはただ、英霊となられた方々に、この豊かさを築き上げた方々に感謝しながら、自分の進むべき道を歩みたいと思います。

投稿日付: 2005年 03月 15日 04:53
名  前: 吉田 正徳
タイトル: ありがとう!

資料館のHPを見て、ただただ驚き。今の世の中では、考えられない。昔、この様な事があったことを息子にも話して行きたい。そして、忘れてはいけない・・・

投稿日付: 2005年 02月 18日 10:41
名  前: 巽
タイトル:

ここに記された遺書を拝読すると、若い彼らの国や家族をを思う熱い心がひしひしと
伝わります。遺書を書かれた方たちは現在30歳の私よりははるかに若い。
そんな方たちが国を憂う熱い想いを持っていたのと比べると、今の社会の現状は・・・。時代背景や職業こそ違え、彼らの尊い犠牲を無駄にせぬよう頑張ろうと思います。安らかにお眠り下さい。合掌。

投稿日付: 2005年 02月 13日 14:00
名  前: 旧海軍一飛曹 岡本春樹
タイトル: 60年ぶり奇跡の再会

昭和19年4月鳥取県美保海軍航空隊(現航空自衛隊美保基地)に予科練14期前
として入隊、20年5月山口県平生特攻基地にて特殊潜航艇「こう龍」搭乗員として訓練、出撃命令で待機、終戦で「死に損ない」復員。その後、美保空よりばらばらにそれぞれの特攻基地に赴いた戦友達は出撃散華したものと信じて60年、インターネットのお蔭で互いに生存を知り、昨年5月靖国社頭にて感激の対面。貴様と俺の会話に夜の更けるのも知らず。予科練は今なお意気軒昂ですぞ。

投稿日付: 2005年 02月 07日 21:43
名  前: 児玉 恵美
タイトル: 初めて記帳します。

初めまして。この度、いろいろと予科練のことを調べていくうちに、こちらに辿り付きました。私は32歳になる者ですが、私の父が生前よく予科連のことを、私達家族に話してくれていました。父は昨年の2月に、脳梗塞の後遺症による肺炎で、この世を去りました。しかし、入院中…よく寝言で予科練の事を言っていました。ここのホームページを、父が亡くなる前に見つけてあげて、見せてあげたかったです。

投稿日付: 2005年 02月 01日 23:53
名  前: 瀬谷 実
タイトル: 七期松浪清様はこ健在でしょうか

「自爆待て  七期 松浪清」の次の文章、
 「迎えにきた一式陸攻は、同期の浅川浩一が機長だった。予科練時代にラグビーで鍛えた浅< 川は、かるがると私をかかえて便乗者席の真ん中に、特別にながながと私を寝かせてくれた。」
ここにでてくる浅川浩一は私の母の兄で、おじにあたります。名前を発見してびっくりしました。おじも同じ乙種7期でした。1945年(昭和20年)6月21日だったと思いますが、「沖縄決戦」で戦死しました。その奥さま(私のおば)は健在です。私は終戦の翌年にうまれましたから、おじのことは写真でしか知りません。わけあって最近、特攻隊関連の文献を読み始め、おばからも聞き取りもはじめました。おばは3年前の私の母の葬儀のときにぽつりと「もういちど木更津にいってみたい」ともらしました。新婚ほやほやの当時、「いま木更津にいるから来い」と連絡がきて、福島県の田舎から出て行って一週間くらい暮らした場所なのだそうです。また、鹿屋にもいっていっしょに生活した思い出もあるそうです。任地からの手紙も何通かみせてもらいました。もし、松浪様がご健在ならぜひおじ浅川浩一のことを伺いたいと思います。お教えいただければさいわいです。

投稿日付: 2005年 01月 27日 14:10
名  前: 専領
タイトル: 葛藤

個人の価値観において「死」とは絶対的に回避せばならぬ事実である。だとしても個人を超える日本人としての立場における「死」とは向かうべき事実でもあった。その葛藤。思慮するたび心が締め付けられる思いです。そのなかで個人を犠牲することに価値を見出すことが出来た日本兵の卓越的思考。今こそ私たちが見習わなくてはいけないのではないでしょうか。

投稿日付: 2005年 01月 23日 21:57
名  前: 中三 男児
タイトル:

自分も7,80年前に生まれたかった。自分の命などでは、何のたしにもならなかったと思うが、自分もこの戦いに、命を賭けたかった。
他の感想を書かれた方は、「戦争はいやだ。死んだ人が可哀想。」などの様な事を書かれていますが、それを言うなら、なぜそんな戦争が起こったのか、そして、国、ふるさと、愛する人、子供たちの未来、そして、↑のなぜそんな戦争が〜・・・から来る正義の為に命を賭ける事と、今のように、アメリカに作られたで、ただ生きるだけと、どちらが人間として有意義で、どちらが無意義なのか考えて頂きたいと思う。

投稿日付: 2004年 12月 18日 22:04
名  前: 片桐由美子
タイトル:

今、涙が本当にとまりません。20歳前後の人たちが「お国のため」と死んでいったことにとてもショックを受けました。特に18歳という私と同じ年の人のことを思うと涙がとめどなく溢れてきます。
特攻隊員の方々の遺書には戦争に対する恨みの言葉など一切なく、むしろ特攻隊員として旅立てるということに誇りを持っていました。
私は、今、「どうして?!」という戦争に対する怒りと悲しさで胸がいっぱいです。
千人針というのは死線を越えるようにとの願いが込められているのに、この人たちは・・・と思うと本当に胸が苦しくなるのです。
戦争は絶対に嫌です。心の底からそう思います。そして同時に私は戦争について知らないことが多すぎるということに気がつきました。私たちの世代はもっと戦争について知るべきです。これから戦争について、平和について考えてみようと思います。

投稿日付: 2004年 12月 07日 16:11
名  前: 佐々木雅弘
タイトル: 志半ばに散った我が先輩方へ

私は、大東亜戦争時「特別攻撃隊」が編成され多くの若者が散っていったことを決して忘れません。国を守るため、郷土を守るため命を捨ててでも出撃した方々にただただ感謝致します。
 その命を無駄にできない。私はそう心に留めて先輩方から託された今の日本を守って参ります

投稿日付: 2004年 12月 04日 14:01
名  前: 薫子
タイトル:  

小林よしのり氏のゴーマニズム宣言、戦争論…読んでいます。今回学校の平和学習で新聞を作ることになり、私は「特攻隊」を個人テーマとしました。小学生の時も同じような事で特攻隊をテーマとしましたが、今ここのHPを拝見して、小林氏の本を読んで考え方が変わりました。私は特攻隊は命令で行かされた、可愛そうな、意味のない若者だと思っていました。しかしなにか惹かれるものがあり再び中学生になってから調べると、わかったことがたくさんあり、勘違いしていた自分自身がはずかしく思えてきました。
わたしは今回特攻隊の事で新聞を書き、みんなに特攻隊の事を知ってほしいと思います。わたしが少し動くだけで知ってもらえるとしたら、こんなうれしい事はありません。このHPを拝見して、もっともっと調べたいという気持ちになりました。
ありがとうございました。

投稿日付: 2004年 11月 13日 21:57
名  前: 南舎 英子
タイトル: こんばんわ京都府亀岡市の者です

京都の南舎(みなみや えいこ)と申します。S13年7月4日生まれの66歳の美容室経営者です兄を戦争で亡くした遺族ですが来週火曜日に知覧の記念館へ行くことができるそうで楽しみにしております。今兄の遺品を整理していますがなんでも残して大切に保管していた両親の思いを改めて知り歴史的な資料になるものは靖国神社へおさめさせていただきました。がまだまだいろんなものがあります。郵便局をしていた両親がのこした特攻機や特攻兵の切手絵葉書等何十年の年を経て出てきたものです。もしよければそちらへも手入れした上で寄贈したく思いますが無理なお願いでしょうか?もしよければお返事くださいませ。勝手を申し上げすみません。ではこれにて本日は失礼いたします。

投稿日付: 2004年 11月 05日 20:34
名  前: こはる
タイトル:

人々から何もかも奪い取ってしまう戦争・・・二度と起こしてはならない。

投稿日付: 2004年 10月 31日 00:06
名  前: 石川 寛
タイトル: 偶々ですがこのページに辿り着きました。

半世紀以上も前に起きた出来事を風化させるべきではありません。
現在の日本があるのも彼らの犠牲によるものです。
ご冥福をお祈り致します。

投稿日付: 2004年 10月 20日 12:42
名  前: 亜希
タイトル:

『特攻隊員の遺書』読みました。学生時代、戦争の話は先生、実際に戦争時代を体験した方々より聞いてはいました。でも、こうやって死を目前とした方の気持ちを目にしたのは初めてだったので少し驚いてます。例えばですが、私が男で、ある日特攻隊員に選ばれたとして、訓練してそして実践する・・・怖いです。正直、写真や当時の服などを目にすると「今の時代に生まれて良かった」と思ってしまいます。小学生のとき、修学旅行で長崎に行きました。平和記念像に行ったときに小さな水溜りのようなものがあり、近くに説明書きのようなものがあり読んでみると「食べ物も無いためこの油の浮いた水を飲んだ」(確か)と書いてありました。今の時代、飲みたいと思たら何処にでもある時代。今あるもの全て、無駄なものでは無いと実感しました。是非、全ての人に読んでもらえたらなぁと思います。

投稿日付: 2004年 10月 19日 22:14
名  前: 優子
タイトル: 戦没者のご冥福をお祈りいたします

先日、私の友人がイラクへ自衛隊派遣で旅立ちました
わたしには何も言わずに行ってしまいここのURLだけが残されていました。
ふざけた男です。心配させたくなっかったそうですが帰ってこなければ
余計に心配です。彼は12月帰国の予定・・・あと63日だそうです。

戦争って大事な人を失う行為ですよね 世の中に死んでいい人なんていません。
戦争を勃発させた人のエゴです。自分さえ良ければそれでいい・・・なぜ人間は
繰り返すのでしょう。。人間というものは頭の悪いイキモノですね

投稿日付: 2004年 10月 16日 11:30
名  前: 池本 みき
タイトル: 平和を願って

 今年の夏休みに三男小6と一緒に拝見しました。家族にあてた遺書は涙が止まらずなかなか読めませんでした。息子の心にも何か残るものがあったんでしょう、夏休みの宿題として「特攻隊」という題で作文を書きました。先日こちらで 中河与一文芸賞の優秀賞というのが決まったと連絡があり息子も私もびっくりしております。この30日に香川県坂出市で表彰されます。戦争があったということを絶対に忘れてはいけないし語り継いでいかなければいけないと思います。

投稿日付: 2004年 10月 08日 13:59
名  前: 村田 廣
タイトル: 甲13期の戦友をさがしております

私は甲13期予科練として奈良分遣隊に入隊しました、記憶がうすれたのですが多分32分隊だとおもわれます、天理教の宿舎が隊舎で13期前期が班長でした。私も喜寿の年になりましたので、天理市の丹波市に行って見たいと思っております、丹波市には予科練の資料館あるのかどうかわかりませんか。また、奈良分遣隊のホームページひらいている方知りませんか。9月に鹿児島の知覧に行ってまいりました、特攻記念館を拝観し泣いて来ました。

投稿日付: 2004年 09月 21日 22:34
名  前: 朝井嘉行
タイトル: 今の日本人に誇りはあるのか?

いつも考えるたびに、特攻隊のことを思い出します。
私の考えは、日本人たるもの日本男児であるべし。

投稿日付: 2004年 09月 16日 18:42
名  前: いちかわまさみ
タイトル: ご冥福を、お祈りいたします。

今の幸福な生活は、このような方々の上に成り立っていると思います。
安らかに、お眠りください。
戦争の悲惨さ、忘れません。

投稿日付: 2004年 09月 16日 17:51
名  前: 軍人家系の末裔
タイトル:

平和がいい、有り難いに決まってますが、
通常攻撃、特別攻撃問わず、国の為、家族の為、後世の為に働かれた方々に感謝いたします。
世代ごとに、理解出来るやり方、理解できないやり方はそれぞれだとは思いますが、私なりの、生き方、国や家族を思う心に誇りを持って生きたいと思います。
 現在のマスコミや各種の売国団体の台頭を憂いております。
平和であり、誇り高い日本であることを祈念しつつ。

投稿日付: 2004年 09月 14日 23:53
名  前: のぞみ
タイトル: 初めまして

ホームページで拝見させていただきました。私は戦後生まれなのですが、ここの展示品の写真を見て、その中に出撃していった方々の思いが込められているような気がしました。いつか拝見させていただきたいと思っています。ありがとうございました。

投稿日付: 2004年 08月 31日 10:22
名  前: 藤村 明
タイトル: 所在地についてお尋ね

予科練資料館の存在をインターネットで知りましたが、所在地はどこなのでしょうか.お教えください。一度訪問したいと考えています。
以上,お願いまで。

投稿日付: 2004年 08月 28日 20:31
名  前: 藤村 明
タイトル:

インターネットで拝見しました。私は、甲飛13期です。奈良空の第14分隊(水操分隊)でした。終戦時は、山形県の神町航空隊で中練特攻隊員となり、特攻訓練
開始と同時に終戦になりました。貴殿の貴重な資料を拝見し、感服すると同時に当時を思い出し、勇気付けられました。有難うございました。

投稿日付: 2004年 08月 27日 03:11
名  前: nitanai
タイトル:

岩手に元予科練の人がやっている蕎麦屋があることを週刊誌で知りました。その人はどうやら、昭和三年に北海道に生まれ、15歳で予科練に入り、復員してからはアーク炉(アーク放電の熱で鉄くずを溶かし、鉄骨などをつくる炉)メーカーに40ぐらいまで勤務していたらしいようです。敗戦で都市がボロボロに爆撃され、そのおかげで働き口があったような皮肉な気がしました。

投稿日付: 2004年 08月 06日 18:37
名  前: 奈美木映里
タイトル: 『飛行機雲』という芝居。

はじめて書き込みさせて戴きます。
(不適切な場合はすぐ消去して下さい。)
私は5年前より毎年お盆の時期に平和祈念の特攻隊のお芝居を創っている者です。
鹿児島の鹿屋を舞台にした『飛行機雲』という作品です。
私の伯父は海軍少佐で重巡洋艦羽黒で戦死しました。
そんな伯父の魂の導きも感じつつ、毎年、全員ボランティアで、
若者達とお芝居を続けています。
東京新聞を始め、全国の新聞にも紹介されましたが、
この作品は全国のFM局で放送されたラジオドラマの劇場版で、優れた作品に贈られるギャラクシー賞も戴いております。
多くの防衛庁、警視庁、の皆様にも応援され、毎年、頑張って続けております。
こんな悲しい過去のが繰返されないように、過去の歴史を風化させないようにと、
大赤字を抱えながらも、みんなで真剣に取組んでおります。
お忙しいとは存じますが、特攻隊に関しての思いの深い貴方様に是非観て頂きたく、失礼を承知で書込ませて戴きました。
とても素晴らしい作品です。よかったら是非御覧下さい。

http://www.djdj.co.jp/djp/info/20040811/index1.html(飛行機雲2004公式HP)
http://www.jinja.co.jp/ycBBS/Board.cgi/001/db/ycDB_news-pc-view.html?mode:view=1&view:oid=13 (神社新報掲載記事)

投稿日付: 2004年 08月 02日 22:17
名  前: 今吉遥香
タイトル: 自分にできること。

背筋が凍る、心臓がわし掴みになる。本当にその通りなのですね。私は今年で18歳になります。予科練の人々が戦場に立ち、散っていった歳です。同じ歳です。なのに私はなにもせず、平和であるというぬるま湯につかって、同じような幸せが明日も続くと勘違いしている愚か者です。いつもそうです。TVで流される戦争のドキュメントを見ても一時の衝撃にしか涙を流さず、いつのまにか忘れている、そんなことばっかりです。かわいそうだ、なんてことだと言いながら行動には一切移らない。それがいまの私の現状です。
でも気付いて良かった。予科練の人々のことを知れて良かったと思っています。せめて8月15日までには気付けてよかったと思います。
何か行動をしたいです。今までの自分に区切りをつけて。
予科練の皆さんのご冥福と、これからの世界の、日本の、自分の為に。

投稿日付: 2004年 07月 27日 21:39
名  前: 薄井ふゆみ
タイトル: 涙が溢れた

特攻隊員様の遺書を読んで涙が溢れた。生まれて25年。日本の平和ボケを当たり前に感じていました。他国で戦争がおきても他人顔をしていました。自分には関係ないと・・。でも隊員様の遺書を読み心が痛み足は震えて辛かった。明日の自分を最後の最後まで信じて自分の肉親を果てしなく愛した。例え命があとわずかでも日本の未来を夢見てた。そんな気がします。わがままほうだいに生きていた自分が恥ずかしくてならない。私たちの未来を勇敢にも守ってくれた隊員様達のご冥福をお祈りいたします。

投稿日付: 2004年 07月 25日 10:48
名  前: 名無し
タイトル: HP

http://mypage.odn.ne.jp/home/syusuke3821

投稿日付: 2004年 07月 17日 23:37
名  前: 河本鉄男
タイトル: 戦争とは

戦争とは、いかなる美名の下に行われようとも失われた命は、帰らない。私の叔父二人も戦死しています。一人は昭和十九年比島方面にて、一人は昭和二十年戦艦大和の沖縄特攻作戦で大和と共に戦死しています。今も世界各地で戦火が絶えませんが、真の平和という物は、来ない物でしょうか。陸自武器学校内予科練記念館、涙なくして
見学出来ませんでした。(霞ヶ浦駐屯地・土浦駐屯地在隊 陸自OB)

投稿日付: 2004年 07月 17日 17:23
名  前: 白浜 輝一郎
タイトル: 記帳

痛ましい若者の死について、深く考えさせられました。

投稿日付: 2004年 06月 26日 17:47
名  前: 川嶋 浩文
タイトル:

先日のこと久しぶりに上京する機会を得て、以前から気になっていた土浦(阿見町)の雄翔館を訪ねました。
私の母方の伯父(母の長兄)は、予科練出身で南方戦線で戦死しております。私は40歳を超しましたが、その事を知ったのは最近のことで少々恥ずかしくてなりません。(伯父は乙飛16期と聞いています。)
母方の祖父母はすでに亡く、亡き伯父のことを知る人も少なくなり当時の事を聞く術はありません。
そのような事もあり雄翔館の訪問となったわけですが、伯父の面影を垣間見たような気がして目頭が熱くなりました。
大分(私は熊本です)に予科練資料館がある事を知りました。近くですので寄らせていただきたいと思っております。


投稿日付: 2004年 06月 14日 18:29
名  前: 坂井 司
タイトル:

前にもこのサィトへ参ったかも知れません。いつ来ても特攻で無くなった勇士の方の遺書には胸になんとも言えない感慨が沸きおこります。私自身もビルマ戦線に
従軍しましたから。ただ、今の日本の人々は余り国を愛する気持ちがないようで
残念です。あの太平洋戦争はやはり、やむをえない戦争だったと思います。
特攻の勇士の方々のご冥福を心からお祈りいたします。 合掌

投稿日付: 2004年 06月 02日 11:17
名  前: トン坊
タイトル: 皆様ご苦労様でした

特攻の記事を」見る時涙無しには読めない。教師も授業をlそっちのけで少年兵への志願を薦めた時期に生長した。学徒動員に行っても満足に食事は無く米に大豆が沢山混ざっていた。家庭への配給も次第に減り、家庭によっては食事が無いと」?デョ于年兵に志願した者もいた。戦災に遭ってもその晩から」寝るところも」無い世叢を探して潜った情の中必勝を信じて軍人を優先して銃後を我々は守った。)前線の兵には一人一艦の撃沈を念じた徳攻が企画され銃後の為にと元寇を信じて前線では突撃した。御霊よ康からんことを祈る。あの人達の遺品は涙無しには見られない。

投稿日付: 2004年 05月 30日 22:55
名  前: 鈴木
タイトル: 気持ちが落ち込みます…

5月半ばに愛媛より訪れた者です。貴館で直接遺書を拝見しましたが、再度読み直しても涙がでます。
当時の少年達の志は、平和な時代に育った私には到底理解出来ないものがあります。2度と、全世界において戦争が起こらない事を願います。
川野様もどうかお元気で、よりたくさんの人にお話を聞かせてあげてください。

投稿日付: 2004年 05月 28日 01:11
名  前: 日本人として
タイトル: 死んで逝った戦友へ

僕は18歳で死んで逝かれたあなた達と同じ年です。
たとえ今の時代で右翼と言われようが何と言われようがあなた達が残したかった本当の意志をじぶんなりに受け継ぎます。
あなた達が守ってくれた日本が大好きです。

投稿日付: 2004年 05月 25日 16:53
名  前: あい
タイトル: 遺書を読みました。

現在、私は中学3年生で、今日、社会の授業で「松尾 巧」様の遺書を読みました。
検索してみると、このホームページが出てきて、他の方の遺書も読みました。
「松尾 巧」様は特攻隊だったようですね。
私は、2年位前に90歳になるおじいさまにお話を聞きました。
そのおじいさんは、特攻隊の、
片道分のガソリンを入れて送り出す役目だったそうです。
敵地に乗り込む方々は、隊長さんに1杯の酒を貰い、
それを飲んで敵地に突っ込んだそうです。
その光景が浮かんで、非常に胸が痛みます。
これからの世界を担う私達が、戦争など二度と繰り返さぬよう、
精一杯努力したいと思います。

投稿日付: 2004年 05月 13日 15:09
名  前: 成合 泉
タイトル: 予科練資料館を思う

以前大分に住んでいた際、上野の資料館があることは知ってました。何度も行こうと思ったのですが時間の都合が合わず残念です。必ずいきます。

投稿日付: 2004年 05月 04日 21:20
名  前: 渡辺
タイトル: 有難うございました。

 先日(4月30日)の午後から、拝見させていただいたものですが、本当に久しぶりの予科練資料館でした。(約4年ぶり)。ホームページを始めたということで、早速書き込みさせていただきます。先般は本当に有難うございました。今日の日本の反映は、大東亜時代に尊い犠牲となられた方々、また、戦後の復興に苦心された方の上に成り立っています。また、大分に行った際は是非立ち寄らせていただきたいと思います。今後とも、お体に気をつけてがんばってください。

投稿日付: 2004年 04月 22日 05:23
名  前: 池田譲二
タイトル: 曽我部 譲さんの件

愛媛県今治市出身、予科練丙16期、曽我部 譲さんの情報をご遺族の方が探しています。ご存じの方、このコーナーに記帳をお願いします。なお、曽我部さんは、大正13年生まれ、昭和20年8月9日、特攻隊員(第2次流星隊)として、木更津基地飛び立ち、金華山沖の米機動部隊に攻撃をしかけ、戦死されました。

投稿日付: 2004年 04月 06日 10:34
名  前: 山下巖
タイトル: 英霊の御霊の前に捧げます。ナムマイダー

謹んで戦死者のご冥福ををお祈りします。私は終戦当時中4で小学からの親しかった学友は陸軍の少年飛行兵行きわずか5ヶ月で」終戦それなのに死んだと復学して来ませんでした。何処でどうして死んだのやら16になっていたのやら南無マイダ−私は鹿児島航空隊の近くにいて練習機が民家に墜落したのを見ています。田圃の中の一軒家でした。練習生が前の大通りをしごかれて走るのを始終見ていました」。1年上級生は予科練に多く行きましてしごかれる様子を見ていました。同窓生はまだ人前には出て来ませんでした。尊い平和の礎となって逝った多くの先輩諸氏の御霊のやすからんことを。

投稿日付: 2004年 03月 31日 15:11
名  前: 内川伸介
タイトル: 予科練資料館記帳にあたり

桜の咲く季節になり、この季節になると今は亡き父の事を想い、遺影の前にて酒を飲んでいます。つい最近このホームページに出会い、自分では良かったと思っています。僭越ながら記帳をさせて頂きます。

投稿日付: 2004年 03月 18日 22:29
名  前: 愛國!共産國賊天誅隊
タイトル: 予科練は我々の尊敬する英霊です

改めて全て見させてもらいました。我々民族は死んでいった特攻隊や兵隊を英霊としてもっと崇める必要があるとおもいます。私たちが今こうやって平和ぼけして贅沢していられるのは英霊が命がけで皇國を救ってくれたからではないでしょうか?英霊は今のような腐敗と堕落の日本をみたら失望するでしょう。これを読んだ皆さんは英霊が残した「後の日本を頼むぞ」という言葉の意味を考えてみてください。最後に我々右翼という存在は決して怖い者ではありません。世間から見ればヤクザと同じでしょうけど英霊の魂を引き継いで日本をよくしたくて真剣に頑張ってる人だってたくさんいます。なのでこの文を読んで少しでも理解していただけたら幸いです。

投稿日付: 2004年 03月 18日 04:07
名  前: 30代の男
タイトル:

私の両親は昭和9生まれ、子供時分に戦争の話をよく聞かされたが、正直怖かったただ両親も戦時中は子供だったので、よくわかっていなかったようだ、戦後に日本におしつけられた、悪、弱いというニセの烙印を・・・
いま自分で戦記を読み、悪どころか白人社会に対する挑戦、勇猛果敢すぎた日本兵士のすごさに唯だあきれるばかり、でも我々も負けちゃおられません。何たって立派な遺伝子を引き継ぐ国民なのですから。 若い人、特に十代の人、世界に出るときには何も恐れる事、臆する心配はありません。 我々世代が手本を見せますから
よく見ておいてね。 何も心配ないですよ。

投稿日付: 2004年 03月 18日 00:35
名  前: 海上自衛隊航空学生
タイトル:

私は今年、海上自衛隊航空学生に入隊する者です。実は現在の海上自衛隊航空学生もこの予科練の流れを引き継いでいるのか、制服が七つ釦なんです。私はこの七つ釦の意味を始め知りませんでした。しかし、先日祖母にこのことをはなしてみたところ、戦時中の予科練と同じだということをきかされました。そして私は予科練のことをしらべました。自分と同じ・・・いやそれ以下の年齢の少年たちが国のためと自分の命をかえりみず海に散っていったことをしり衝撃をうけました。しかし、今日本が平和といわれるようになったのはこの予科練の方々や、戦争で亡くなった方々のおかげだとおもいます。その平和が永遠に続くように私は航空学生として守っていきたいと思います。どんなに苦しい訓練があろうともこの予科練の方々以上の厳しさはないでしょう。厳しさに負けそうになった時、自分が何のためにはたらいているのかわからなくなったりした時にはこの予科練の方々のことを思い出し耐え抜いていこうと思います。

投稿日付: 2004年 03月 17日 06:26
名  前: のり
タイトル: 本当にひどい話です

はじめて記帳させてもらいます。私はある少女マンガを読んで特攻隊ってのを知りました。改めてこのホームページを見て戦争の悲惨さを知りました。たくさんの若い子達が命をたって本当に辛いです。遺書を読んで涙がでそうでした。もうこううゆう過ちはしてもらいたくないもんです。っても今の日本は微妙です。外国に自衛隊を派遣するし。2度あることは3度あるといいますから。。。現代版特攻隊はいらないです。We are the peace

投稿日付: 2004年 03月 12日 12:47
名  前: むつみ
タイトル: 言葉がありません

「遺書」読みました。
会社のお昼休みなのに、涙が出てきました。
私がこのHPにたどり着いたのは、PS2で「メダルオブオナーライジングサン」と言う
ゲームをやっていた彼を見て・・・の事です。
ゲーム自体は、アメリカ兵になって日本兵を倒していくのですが、
なかなか納得できるものではありません。
いろいろ考えながらやっているうちに、なんだか戦争の事について
何も知らない自分に気がついたので。
もう少し読ませてもらいます。

投稿日付: 2004年 03月 12日 12:39
名  前: M
タイトル: わたしの伯父さん

私の伯父は特攻隊員でした。出撃する前に終戦を迎えたそうです。私は、戦争は愚かだ、あの時代の精神は愚かだったと教えられて育ちました。しかしそれは、渦中にいて、精一杯生きてきた人たちの耳にはどう届いているのだろうと、ふと思います。伯父はあの時代を生き、この時代も生きています。非難したり、正論を語るのはあまりにも安易で、時には思いやりが欠けてしまうものだと感じます。

投稿日付: 2004年 03月 08日 12:59
名  前: 桜花
タイトル: 8月15日に生まれて

私は戦後数十年経ってから生まれました。
もちろん戦争も知らず、小さな頃は何故自分の誕生日が
いつも終戦特別番組ばかりしていたのか不思議でした。
少しずつ終戦の意味を知り、特攻隊の存在を知り、
涙が止まらなかった事を覚えています。
最近、「終戦記念日に生まれたの」と言うと「いつだっけ?」と言う
何とも言えない返事が返ってきたのを悲しく思いました。
無知なだけと思いたいですが、終戦特別番組はもっと放送するべきだと思います。
見て学ぶ事は大切です。英霊の方々を忘れてはいけないと思います。


投稿日付: 2004年 03月 01日 17:08
名  前: 平和の海
タイトル: 決死隊と必死行

 海軍特攻の生みの親は大西瀧治郎司令官だったといわれていますが、もし彼と深い信頼関係にあった山本五十六長官がまだ生きていたら、航空特攻を決断したのでしょうか・・?  何かの本に「特攻隊の犠牲精神を連合国は崇高なものと高く評価し、戦後の占領政策に影響を与えた・・」のだと。
歴史に「もしも・・」はないですが。 

投稿日付: 2004年 02月 19日 15:20
名  前: M子
タイトル: 特攻隊

総合でお勉強中ですがやっぱり戦争はだめですね。隣に座っている友達が今起こっている自爆テロは特攻隊がもとになっているようですね。

投稿日付: 2004年 02月 11日 23:39
名  前: 小森一幸
タイトル:

ほんとうに考えさせられます
プリンタ出力用画面 友達に伝える


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