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【特攻隊員の遺書】


 戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
 父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
 私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
 抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
 この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
 故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
 しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
 お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
 いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
 平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。

神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死


待ちに待った晴れの出陣を、明日に控えました。
 突然でいささかあわてましたが、大いに張り切っておりますので、何とぞご安心下さい。
 生を享けて、ここに二十二年になります。何の恩返しも出来ず誠に申し訳ありません。何とぞお許し下さい。
 国家のために散って征くことを、最大の孝行としてお受け下さい。
 私が戦死したと聞きましたら、赤飯を炊き、黒い着物など着ず、万歳と叫んで喜んで遺骨を迎えてください。
 多分骨はないものと思いますから、体操シャツを一枚送ります。
 これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です。私と思って大切にしてください。
 今となっては別に言い残すことはありません。
 とにかく、命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります。必ずや、敵空母の一隻や二隻は沈めてみせるつもりです。
 取り急ぎ乱筆になりました。感無量で何もかけません。これでペンを置きます。
 ずいぶんとお元気で、いつまでも暮らしてください。 小父さん、小母さんたちによろしく。ではご機嫌よう。さようなら。

 母上様

神風特別攻撃隊 第二御盾隊
海軍上等飛行兵曹 小松 武 (高知県)
昭和20年2月21日 硫黄島周辺の艦船攻撃中戦死


 何も書く事はありません。 只御両親様及び久美子の健在を祈るのみ、勲は決して人におくれはとりません。潔よく散るのみです。目標は正規空母です。十日位したら徳島海軍航空隊第14分隊5班、上野功君に便りして下さい。 写真は受けとったと泣かずにほめて下さい。幸多かれと祈るなり、親戚の皆様に宜敷く。孝養を頼むぞ久美子、安よ頑張れ。
 宮崎航空基地にて

御両親様     神風特別攻撃隊第六菊水隊

昭和20年5月10日 午后5時48分
海軍一等飛行兵曹 伊東 勲 享年20才
大分県九重町町者原出身 乙飛18期 


 攻撃直前記す。
 御姉上様、合掌、最後に当たり何も言うことはありません。僕が常夏の国南米伯国より日本の国へ帰って、何も知らない僕を、よく教え導いてくださったことは、心から感謝しております。
 身を海軍に投じて以来未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。海軍に入営してより、日夜の訓練によって心身共に磨き清めて来ました。今、国のために散って行く私です。
 日本に帰るときに母様より呉々も言われた事、頼まれたことを果さずに散ってゆくのは心が残ります。
最後に年老いた両親に迷惑かけたことを、深く悔やんでおります。
 今私は澄んだ気持ちです。白紙の心です。皆々様もお元気に。
では私は只今より攻撃に行きます。再合掌。

姉上様

昭和20年8月9日
一飛曹 高須孝四郎 23才
神風特別攻撃隊第七御盾隊第二次流星隊員として、本州東南洋上にて戦死


 謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。
 今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。
 この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。
 沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。護国の花と立派に散華致します。私は二十歳をもって君子身命をささげます。
 お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。
 家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。生前の御礼を申上げます。
 私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもして下さい。近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも......。
 後はお願い致します。では靖国へまいります。
  四月六日午前十一時記す
     神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊

昭和20年4月7日
海軍一等飛行兵曹 松尾 巧 享年20才
佐賀県出身 乙飛17期


 今度攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子の本懐これに過ぐることなく、喜びに耐えません。父上様方も聞かれましたら、さぞかしご満足されることでしょう。
 今更言う事はありませんが、一寸の孝行もせず、ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に何とお詫び申し上げてよいか判りません。
 まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが、弾が命中したら、必ずや敵の空母を撃沈します。
 突然でさぞかし驚かれると思いますが、立派に男子の本懐を全うします。
 出発まで時間がありません。一言、最後の言葉を。

昭和20年4月7日
二飛曹 清水雅春 18才
神風特別攻撃隊第三御盾隊として、沖縄海域にて特攻戦死


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